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【私のCOVID19①】

丸4年経ちました、
異論はあるでしょうが、
私は”終戦”だと思っています、

毎日COVID医療のど真ん中に居ました、
当院は全国でも有数のCOVID対応可能施設です、
重症コロナセンターも建設し、
専用病棟も38床設置しました、
地域外来開きました、最高の日は360名が来ました、
検査待ちの行列が病院の周りを一周しました(写真)、病院前の通りは何キロにも及ぶ交通渋滞が発生、苦情が出ました、

私は、ERで発熱患者診ました、隔離診察室も作り診察しました(写真)、
最終的には陽性患者及び疑似患者を10万人診ました、
陽性者は2万7000人でした、
詳細なデータも作りました、
最初の200人は、画像も有ります、

また、一般市民と同じように社会生活への影響もモロに受けました、
前回のパソコン話題と同じで書ききれるものでは有りませんが、
COVID雑感①を書きます、

これは長期戦になると予測しました、
1年目の4月に“10月で終わる“などと予想した人が居るなか、
私は、3年かかると断言しました、証拠の書類あります、

COVID1日目からの”ノート”があります、
現在で11冊目です(写真)、
1ページ目は、2020年の2月の記載です、
3月4日に陽性第一号がでました、
大阪のライブハウス事件の夫婦でした、
4月には死亡患者を経験しました(写真)、

今回の対応について、検証裁判をして欲しい、

休校など無駄なことをした、
店を閉めさせた、シャッター街にした、
酒を飲ませると騒ぐので禁止にした、時短にした、
すべて、不要、無効な対応でした(私見)、

感染伝播は何で起こるのか、その効果的な予防はなにかを、
早く知らしめるべきだった、
結果的には、感染は飛沫、15分間かぶるとなる、
予防効果はたったひとつ、マスクだけ、

検査を精度の高いPCR検査法にした、
これが大間違い、結果が出るまで隔離した、疑似患者扱いした、
もの凄いロスが出た、ベッドを占領した、医療逼迫の最大原因だ、
精度は多少低くても、それを許容して早期に抗原検査に移行すべきだった、

行政の金の使い方は無茶苦茶で有効な使い方をしなかった、
最初に国民ひとりひとりに10万円配った、
病床確保に1日、1ベッド、20万円払った、悪徳病院を醸成した、
一律の休業補償をした、悪徳店を醸成した、
医療者へのお礼が出た、でも、事務方とか検査方には出ない、
オカシイ、彼らはメチャクチャ有効な活動をした、
災害派遣の時出動した人は物凄く評価されるが、
その留守を守って2倍働いた人は評価されないのと似ている、

マスゴミの”煽り”も裁判してほしい、
あれで市民を扇動し多くの風評被害が生まれた、
トイレットペーパー、粉ミルク大騒動の時と同じ、
正しく報道してくれれば国民は粛々と動いてくれた我が国、
COVID19を診察したことの無い似非感染症の大家、似非評論家も、生まれた、

正しく導くために講演会も行った(写真)、

”第〇波”もオカシイ、
大阪では、第一波と言われるピークはナ・ナント!!!”97人”
第9波ではナ・ナント!!!“4万人”、
これを同じ波と言うの?

自身や周りの人への感染への思いもイッパイあります、
出だしのころは完全な“疫病”あつかい、
感染すると犯罪者、半端モンと思われた、
ばれないように秘密にして裏道を歩く、の雰囲気、
同僚もやられた、一番つらかったのは妊娠中のスタッフの感染、
私が検査をやった、結果を伝えた時の悲しい顔は忘れられない、
妊婦を扱える専門施設に搬送され挿管加療まで受けた、
でも、無事に出産して赤ちゃんを抱いて逢いに来てくれた、
嬉しかった、

ごく最近の笑い話、
これだけ経験したERスタッフは、ナニで感染するか、ナニが予防手段かを知っている、最近の軽症化、予防対策はナニがポイントかを知っている、
陽性患者が在室している部屋もマスクと手袋だけで、平気で出入りする、
看護する、但し検体取る時はPPEする、

“今の常識”を知らないバイト医者が来た、
私、発熱患者には必ずCOVIDチェックします、
結果を診た看護師が、静かに“陽性です”と言う、
スタッフも、静かに“アそう”で、聞き流す、
ところがこの医者は大騒ぎ!!
“陽性なら早く言ってよ!”“N95出して!!”“すぐに手を洗って!!”
皆から、懐かしがられて、失笑された、

救急科ブログ

「陽性例1例目(左)と死亡1例目(右)、最初の株は激しかった」 

救急科ブログ

「院内に入れるわけにはいかない、炎天下、寒風の中行列が出来倒れる人が続出、ERで診察し夜間も開いた、最後は戸建ても建築した」 

救急科ブログ

「毎日書いたCOVID日記、現在は11冊目、でも書くこと少なくなった」 

救急科ブログ

「流行最中(さなか)に開催した講演会、300人以上が集まった」 「感謝されましたが、ほとほと疲れました」 

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