救急科 救急センター長 千代 孝夫(ちしろ たかお)
■資格
- 日本救急医学会 専門医/指導医
- 日本蘇生学会 指導医
- 日本集中治療医学会 専門医
- 日本中毒学会 クリニカル・トキシコロジスト 認定医
- 日本プライマリケア学会 指導医
- 臨床修練指導医
■経歴
1971年 | 関西医科大学医学部 卒業 |
1993年 | 関西医科大学救命救急センター 助教授 |
2000年 | 日本赤十字社和歌山医療センター 救急部長 |
2010年 | 日赤和歌山医療センター 高度救命救急センター長 |
2016年 | 野崎徳洲会病院 救急科 センター長 |
地域の先生方へ
私は、関西医大高度救命センターで20年間、その後、日赤和歌山高度救命センターで16年間勤務した生粋の救急医です。その中で得た信条は4つで、それを実践しています。
まず、全例応需の堅持、患者や施設が困って診察を救急部へ依頼する、それを断る施設や医師は救急施設や救急医ではありません、ついで、正しい診断と有ってはならない誤診を避けるために、先入観を排除し、大きく網を広げ、各種の検査、とりわけ画像検査を駆使すること、そして、得られた全データから確定診断に至ること、最後に、初期治療を行った後、最適で間違いの無い患者の転帰を決定する(=disposition:帰宅させるか、入院させるか、入院ならどの科にどの時点でか)ことです。
このスタンスで、救急を通じて市民の健康保持に寄与したいと思っております。急病や外傷で困った時は、迷わずに電話してください。私は、いかなる時にも「はい、どうぞ」しか言いません。
救急科 北澤 徹三(きたざわ てつぞう)
■ご挨拶
今まで岐阜県で2年間の初期研修修了後、2年間小児科の医師として働き、 その後、臨床現場を離れていましたが、平成31年1月より、野崎徳洲会病院に勤務して 救急科で臨床医として再出発させて頂きました。
臨床現場を3年9ヶ月離れていた為、千代センター長をはじめとした指導医の先生方から、 学ばければならない未熟な私ですが、来院される患者様に安心して医療を受けていただくよ う尽力して参ります。宜しくお願いいたします。
救急科 朱 海(しゅ かい)
■ご挨拶
私は中国遼寧省出身であり、中国で3年間、救急医として勤務していました。2016年に日本に来ました。野崎徳洲会病院の千代孝夫先生のご指導で外国人修練者、国際通訳として野崎徳洲会病院で勤務していました。2021年に第115回医師国家試験を合格し、鹿児島県の鹿屋市にある大隅鹿屋病院で2年間、初期研修医として勤務していました。2023年4月に救急専攻医として野崎徳洲会病院に復帰しました。患者様に安心して医療を受けて頂けるように、千代先生のご指導で日々頑張りたいです。
宜しくお願いします。
救急科 糸原 孟則 (いとはら たけのり)
救急科 救急センター長
千代 孝夫(ちしろ たかお)
■資格
- 日本救急医学会 専門医/指導医
- 日本蘇生学会 指導医
- 日本集中治療医学会 専門医
- 日本中毒学会 クリニカル・トキシコロジスト 認定医
- 日本プライマリケア学会 指導医
- 臨床修練指導医
■経歴
1971年 | 関西医科大学医学部 卒業 |
1993年 | 関西医科大学救命救急センター 助教授 |
2000年 | 日本赤十字社和歌山医療センター 救急部長 |
2010年 | 日赤和歌山医療センター 高度救命救急センター長 |
2016年 | 野崎徳洲会病院 救急科 センター長 |
地域の先生方へ
私は、関西医大高度救命センターで20年間、その後、日赤和歌山高度救命センターで16年間勤務した生粋の救急医です。その中で得た信条は4つで、それを実践しています。
まず、全例応需の堅持、患者や施設が困って診察を救急部へ依頼する、それを断る施設や医師は救急施設や救急医ではありません、ついで、正しい診断と有ってはならない誤診を避けるために、先入観を排除し、大きく網を広げ、各種の検査、とりわけ画像検査を駆使すること、そして、得られた全データから確定診断に至ること、最後に、初期治療を行った後、最適で間違いの無い患者の転帰を決定する(=disposition:帰宅させるか、入院させるか、入院ならどの科にどの時点でか)ことです。
このスタンスで、救急を通じて市民の健康保持に寄与したいと思っております。急病や外傷で困った時は、迷わずに電話してください。私は、いかなる時にも「はい、どうぞ」しか言いません。
救急科
北澤 徹三(きたざわ てつぞう)
■ご挨拶
今まで岐阜県で2年間の初期研修修了後、2年間小児科の医師として働き、 その後、臨床現場を離れていましたが、平成31年1月より、野崎徳洲会病院に勤務して 救急科で臨床医として再出発させて頂きました。
臨床現場を3年9ヶ月離れていた為、千代センター長をはじめとした指導医の先生方から、 学ばければならない未熟な私ですが、来院される患者様に安心して医療を受けていただくよ う尽力して参ります。宜しくお願いいたします。
救急科
朱 海(しゅ かい)
■ご挨拶
私は中国遼寧省出身であり、中国で3年間、救急医として勤務していました。2016年に日本に来ました。野崎徳洲会病院の千代孝夫先生のご指導で外国人修練者、国際通訳として野崎徳洲会病院で勤務していました。2021年に第115回医師国家試験を合格し、鹿児島県の鹿屋市にある大隅鹿屋病院で2年間、初期研修医として勤務していました。2023年4月に救急専攻医として野崎徳洲会病院に復帰しました。患者様に安心して医療を受けて頂けるように、千代先生のご指導で日々頑張りたいです。
宜しくお願いします。